『明世宗実録』によると、嘉靖36(1557)年に大友義鎮(宗麟)は使僧の善妙ら40余人を明へ派遣し、対明貿易の公許を申請した。同年の記録には「以十月初、至舟山之岑港泊焉」とあり、彼らの「巨舟」が10月初めに浙江省舟山の岑港(舟山島西部の港)に着岸した事実が判明する。大友氏の「巨舟」は翌11月まで岑港に停泊して貿易許可を待ったが、折しも倭寇王直と明官軍の軍事騒動に巻き込まれ、岑港の海底に沈没してしまった。複数の文献史料が示す歴史的事実を念頭に、初年度においては、日本の戦国大名のアジア諸国への貿易船に関わる史・資料を日本国内外において幅広く収拾した。 また、中世の港湾都市の実態や国際交流の様相を探る研究会を開催し、研究の問題点を明確化した(主な研究発表は以下の通り)。 ・坂本嘉弘「中世都市豊後府内の成立と変遷」 ・後藤一重「大友氏が支配したムラ」 ・鹿毛敏夫「アジアのなかの大友氏」 ・小柳和宏「豊前・豊後の中世城館」 ・吉田寛「陶磁器からみた大友氏の南蛮貿易」 ・田中裕介「イエズス会府内教会と墓地」 ・後藤晃一「府内のキリシタン遺物」 他
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