研究最終年にあたる今年度は、以下の研究成果をあげることができた。 まず第1は、中世から近世にかけて西日本のより広域な大名権力のアジア外交と、その対外政策に育まれた西日本の外交都市の歴史的実態を比較史の観点から明らかにすることができたことである。本研究の沈没船の母港である豊後府内のみならず、当該期日本の政治的中枢である畿内の室町幕府や豊臣政権と密接に結び付いた堺、遣明船の寄港地から戦国大名松浦氏の時代を経て江戸幕府初期の貿易拠点へと性格を変転させていった平戸、そして、戦国大名大村氏の町建てから近世には江戸幕府による貿易統制の恒常的拠点として機能した長崎という4つの交易都市の歴史的背景をふまえて遣明船の意義を考察することが可能となった。 第2は、特定の時期や地域に限らず、日本の中世社会そのものが全体的に有していたアジア的性質を明確化できたことである。西日本の戦国大名の領国制の展開は、大陸に近い地の利を活かして、アジア史の史的展開のなかに自らの領国制のアイデンティティを追求しようとする国際的地域政権の営みであり、しかも、そのアジア的志向性は、当該政権の政治・外交・経済・文化のあらゆる面で通底する本質を有していた。この分析と考察の成果については、日本史で「守護大名」や「戦国大名」と呼称する日本国内の一地域公権力の政権定義の枠組みをはるかに越えているため、アジア的守護・戦国大名、通称「アジアン大名」と呼称することを提唱して、2011年度下半期に1冊の書物として一般公開する準備を進めている。
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