(1)甲骨資料の解読 未刊本『甲骨文辞』は、無造作に拓片を貼り付けている。しかしながら、この資料は内容別に刻されていると思われ、知識のある人物が編纂していると思われる。この資料を解読した結果、刻された時期は、第I期〜第V期までにまんべんなく分類できる。 (2)書き込みの把握 右図のように、この資料には通し番号と思われる数字の他に、個別拓本の出典(例えば「殷契192」という記述、これは『殷契粋編』の192番のことである)が記されているものもある。既刊の資料との関係を裏付ける証拠となった。 (3)馬衡と唐蘭の交流 馬衡(1881-1955)は、民国時代に故宮博物院の院長であった。徹底して故宮の文物を調査し、収蔵品の由来・価値を明らかにした人物として知られる。自身の研究は、石刻や碑帖などの石学研究を行っていたので、甲骨文字などの古代文字は専門外であったと思われる。また、唐蘭(1901-1979)が主として活躍したのは、共和国時代になってからである。民国時代に故宮博物院の専門委員となったが、北京大学、清華大学の教員を歴任する研究者で、共和国になってから、故宮の副院長となった。『甲骨文辞』には、馬衡と唐蘭の連名のサインがあり(自筆であるかどうかは未確認)、北京大学勤務時代の旧知の二人が、おそらく1930年代後半以降に研究を実施していたと思われる。
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