(1)『甲骨刻辞』の性格を明らかにする 未完本『甲骨刻辞』を総合的に検討した。既刊資料との対照表は作成途中である。 (2)馬衡・唐蘭の関係 未刊本『甲骨刻辞』は三巻に分かれるが、その中巻には「〓県馬衡秀水唐蘭類次」と記入されている。二人の年齢差は二十歳であるが、後期は北京を中心に活動している。研究の専門分野は、馬衡は石刻学を、唐蘭は金石を研究していた。北京大学在職時の馬衡に唐蘭を引き合わせたのは、王国維である。馬衡と王国維は国維が清華大学に勤務していた当時から交流があった。また、当時の北京では習慣的に、精華大学や北京大学の研究者や学生が積極的に往来し、自身の研究テーマに必要な教えを請うという習慣があった。容庚もその環境で古代文字を学んだ一人である。『甲骨刻辞』は、古代文字研究者として能力の高い唐蘭に注目し、自身の所蔵する(あるいは関係する)甲骨片の整理・研究を依頼していたと推測している。馬衡は故宮に勤務している当時、毎日毛筆で日記を付けていたが、本年度、1949年から1951年までの複写を入手し、唐蘭に関する記述を調査した。合計38日分に唐蘭の記述があるが、多くは「立庵」(唐蘭の号)と記している。故宮や新出土の青銅器を両名で鑑賞する等、王国維亡き後、自分の弟子のように接していた様子がうかがえ、中には愛憎相半ばする記述も見られた。師弟関係のような間柄の二名が、甲骨に関する専著を出版しようとした事実が見えてきた。
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