本研究は、現在キリバス領のバナバ島から第二次大戦中に故郷を追われ、帰郷を果たせぬままフィジー諸島のランビ島で困窮生活を送るバナバ人、およびランビ島からの再移住者を対象とする。バナバ人が、実地調査時点において、いかに過去の出来事を認識し、それを共有・伝達してきたのか、記念碑建立や創作された歌・踊りによって祖先の経験を再現する歴史表象を手がかりとして、悲劇的歴史に関する集合的記憶の形成及び再生産過程、ナショナリズム醸成過程を考察する。また人々が現在、経験された歴史を踏まえて、いかに未来を見据えて模索し、投企を決断しているのかを考察する。 バナバ人は一枚岩的にまとまっているわけではない。平成22年度は、困窮に陥っていない都市中間層を対象として、フィジーの首都で実地調査を行った。住み込み調査を行った世帯は、キリバス政府や教会の要職に就くエリートを輩出していた。成員のなかには、バナバ人の系譜を引くことを自認しながらも、バナバ人ナショナリズムとは一線を画した志向をもつ者がいた。こうしたエリートは、バナバ人の集会にはほとんど参加せず、自らキリバス人と名乗る場合もある。一方、世帯のなかでも意思の差異があり、ランビ島で生まれ育った40代男性は、バナバ人の集う拠点に頻繁に足を運んでいた。また、親世代にあたる老夫婦は、バナバ人ナショナリズムに批判的であると同時に、ランビ島から来た親族を快く受け入れ、日曜日にはバナバ人運営のメソジスト教会から牧師の訪問を受けて自宅礼拝を行っていた。以上のように、歴史的経験や記憶を共有しながらも、バナバ人ナショナリズムとの距離、エスニシティの名乗りやアイデンティティのあり方は多様であることが明らかになった。
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