本研究は、現在キリバス領のバナバ島から第二次大戦中に故郷を追われ、帰郷を果たせぬままフィジー諸島のランビ島で困窮生活を送るバナバ人、およびランビ島からの二次的移住者を対象とする。バナバ人が、実地調査時点において、いかに過去の出来事を認識し、知識を共有・伝達してきたのか、悲劇的歴史に関する集合的記憶の形成及び再生産過程、ナショナリズムの醸成過程を考察する。また人々が、ディアスポラとしての経験を踏まえて、いかに未来を見据えて模索し、自己投企を決断しているのかを考察する。 平成22年度には、ランビ島からキリバスの首都タラワへ再移住した家族に対して面談調査を行った。キリバス人亡父の土地相続のため、1990年代後半に夫婦が先行してタラワに移住した。息子1人と娘3人はランビ島に残り、夫の姉弟が面倒を見ていた。後に子どもたちは次々と、進学等の機会にキリバスに来た。そして、比較的高い学歴とフィジーで培った英語力によって教員や、銀行員、通信会社オペレーターの職を得た。キリバス人と結婚して子どもをもうけた者もいる。 しかし、キリバス社会で安定した生活を送りながらも、一般のキリバス人とは異なる、フィジー出生者という自覚を、彼女たちは強く保持している。また、先行移住した夫婦は、いずれランビ島に戻りたいという希望をもつ。このようにバナバ人ディアスポラは、国境を越えて生活を維持しながら、フィジーのみならずキリバスでも、外からの視線を内在化し、ホスト社会において他者性を帯びた存在として自己を規定している。伝達された歴史的記憶のみならず、キリバスとは生態的環境や気候の異なるランビ島での生活経験が、バナバ人にとってエスニックな自己形成の基盤となっているのである。
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