「戦後」日本、特にGHQ統治時代の調査研究の中から、日本で最初の本格的な総合学術調査と言われる九学会連合(人類学、民族学、民俗学など九つの学会の連合体、1947年に六学会連合として発足)による対馬調査を中心に分析を行った。その結果、判明したのは下記の通りの事実である。 1、対馬が調査地として選択された背景には、日本敗戦の結果、国境線の島となった対馬に対する地政学的関心が存在したこと。 2、特に朝鮮半島と日本の間に位置する対馬に対しては、当時、韓国との間に政治的軋轢が生じていたが、さらに調査直前にける朝鮮戦争勃発という社会的背景が九学会連合の調査に大きな影響を与えていたこと。具体的には、対馬が「日本」であることを学術的に「証明」することが調査団員の大きな目標となったこと。 3、対馬調査の成果として有名な宮本常一(民俗学者)の「寄りあい」民主主義の議論(対馬の一集落で宮本が見聞した村の「寄りあい」から、近代以前から伝統的に残る日本的「民主主義」として定式化された)の背景には上述の対馬調査実施時の政治状況が影響を与えている可能性があること。 九学会連合の地域調査については、対馬に続いて能登半島(1952・53年)、奄美(1955・56・57年)の調査についても現在、調査・分析を進めており、それと併せて当時の人類諸科学の学術調査が「戦後」日本社会の政治的状況といかなる関係を有していたかを明らかにしていく計画である。 さらに、今年度の成果として、対馬調査において中心的役割(現地責任者)を果たした泉靖一(文化人類学者)による同時期の他調査(東京都在住の済州島出身者調査、東京都民の人種偏見調査)についても分析を行い、かかる調査が日本敗戦と植民地帝国崩壊という政治状況を大きく反映するものであることも明らかになった。特に泉靖一の1950年代初頭に調査については従来ほとんど知られていなかったが、本研究によってその全貌をある程度明らかになったと思われる。なお、以上の研究成果の一部は、研究代表者が編者となり、今年9月頃に刊行予定の著作(坂野徹・愼蒼健編『帝国の視角/死角-<昭和期>日本の学術とメディア』青弓社刊)において発表予定である。
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