わが国に伝来した石切りの画期的技法として、矢穴による石切技術がある。その技術には小型矢穴石切技法と大型矢穴石切技法の2種類があり、大型矢穴技法の源流は4500年前のエジプトのピラミッドに遡る。 後者の大型矢穴技法のわが国への導入は中世末期から近世初頭である。戦国時代が終わり、城郭は山城から都市における平城への移行という社会的要請と関わって、それ以前の小型矢穴技法と違って、全国へ劇的に普及した。そして日本の城郭、土木建築を飛躍的に発展させ、社会に大きな影響を及ぼした。 にも関わらず小型、大型矢穴の区別、あるいはそれらの石材加工技法がどの様なルートで如何なる歴史的背景のもとに伝来したかも、実はこれまで分かっていなかった。それを究明しようと試みたのが本研究の狙いである。 私の中ではそもそものこの問題へのアプローチとして、源流としてのエジプトからすでに調査を開始していた。わが国は古来多くの文化を隣国中国から受け入れているので、中国における実態調査を次に進めた。そして矢穴技法そのものが、日本を含めて世界各地で同時発生したかも知れないという問題に対しても検討しておく必要があった。旧世界と隔絶し、かつ高度な石造文化を持つ新大陸のインカ・マヤ・アステカは格好のフィールドであった。しかし中国や中南米には石を割るための大型矢穴技法は認められなかったのである。日本へ伝来した中世末期という時期を考えると、スペインの宣教師たちによる導入が考えられるのではないかとの仮説のもとに、次にスペインを調査した。その結果スペインの石切り技法は全て大型矢穴技法であった。こうして全体で数十ケ所の石造遺跡を調べた現段階では、日本の矢穴技法の伝来ルートと時期は概ね押さえられたのではないかと思う。
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