文化財の殺虫・殺菌処理には、新規燻蒸剤や、薬剤を使用しない殺虫方法などがあるが、殺虫・殺菌は薬剤の化学反応や環境の物理的条件の変化によって行なうため、文化財の材質に影響を及ぼす場合もありうる。文化財や資料を構成するタンパク質材質は、絵画などに用いられている絹や膠のほか、羊毛、皮革、動物標本類、写真資料に使用されているゼラチンなど、きわめて多岐にわたるが、これまでタンパク質材質に対する燻蒸剤の影響について分子レベルで詳細な物性の変化などを系統的検討した研究例はほとんど見当たらない。殺虫、殺菌処理として、臭化メチルの代替燻蒸剤、ヨウ化メチル、酸化エチレン製剤、フッ化スルフリル、酸化プロピレン、および従来使用されてきた臭化メチル製剤、さらには、低酸素濃度処理、二酸化炭素処理、低温処理、高温処理などの薬剤を使用しない文化財の殺虫処理法について、自然誌標本のタンパク質、絵画材料の膠、絵絹などに及ぼす影響を検討してきた。今年度は、熱分析であるDSC(Differential Scanning Calorimetry)で筋肉標本試料をさらに詳細に調査した結果、使用した薬剤ごとの変化の傾向がはっきりと出ることがわかった。また、その変化の大小は、暴露量の多少に呼応していた。このような詳細な変化は、タンパク質の電気泳動ではわからなかったので、この方法の有効性が示された形となった。また、これまで電気泳動やDSCで、大きな変化がみられていたフッ化スルフリルで燻蒸した筋肉標本については、IRの測定で、一部で共有結合性の変化がおきている可能性が示された。一方で、膠、絹、カゼイン、皮革などについては、とくに顕著な変化はIR分析では検出されなかった。燻蒸剤などの影響の多少はタンパク質の種類や、材質の加工法の違いなどによって、大きく異なった。現在、一連の実験結果について、論文投稿準備中である。
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