本研究は、ロシア帝国南部辺境のムスリム政策を取り上げ、そこで展開される帝国間関係と現地のムスリム社会との相関をシステムとして説明しようとするものである。19年度は、ロシア帝国とオスマン帝国を往来するムスリムの視点から、両帝国関係やそれを取り巻く国際秩序を分析した。研究計画では当初、ロシア帝国のムスリム統治機構である宗務局を軸に据えていたが、それに関する最重要史料を所蔵する国立歴史文書館の閉鎖が長引いているため、視角を変える必要に迫られた。そして、近年の研究成果や国内で入手できる史料を整理する中で、国家の威信や影響力が、大使館・領事館の活動によっても生み出される側面により注目するようになった。11月にアメリカ・スラブ研究促進協会(AAASS)の年次大会で、越境者から見たロシア帝国・オスマン帝国・カージャール朝イランに関するパネルに、報告者として参加できたことは大きな収穫だった。このパネルは、スラブ研究センターの同僚である前田氏がアメリカの指導的な研究者と組織したものである。我々のパネルは好意的に迎えられ、私は20年度の大会でも、コロンビア大学とニューヨーク大学の新進気鋭の研究者と、帝国間を往来するムスリム旅行者に関するパネルを組織することになった。 今年のAAASSで私は、ヴォルガ・ウラル地域からのメッカ巡礼者について報告する。その資料収集のために、2月14・29日にモスクワに滞在した。ロシア帝国外交文書館にある、外務省トルコ課と在イスタンブル・ロシア大使館の文書は、ロシア政府が、オスマン帝国を往来する臣民を、オスマン帝国に影響力を行使するための重要な資源と見ていたことを示していた。国立軍事史文書館では、陸軍省が軍人を巡礼者に扮させ、メッカで諜報活動させていたことに関する文書を閲覧した。国立図書館別館では、メッカ巡礼者の紀行やムスリムの新聞の調査を行なった。
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