本年度の課題は、(1)ロシア帝国がどのようにオスマン帝国領内で「イスラームの庇護者」として振舞おうとしたのか、(2)ムスリム社会内部の資本配分とロシア政府とはどのような関係にあったのか、という問いから構成されていた。(1)については、9月に、入館許可を得るのが困難なロシア帝国外交文書館で重点的に史料収集する機会に恵まれ、国家の威信や影響力が、宗教権威だけでなく、大使館・領事館の活動によっても生み出されることを示す極めて貴重な資料を閲覧した。そこからは、メッカ巡礼者をはじめとする、ロシア帝国とオスマン帝国を往来するムスリムと外交官との関係だけでなく、ロシア帝国の外交官がムスリムの移動を取り巻く国際環境をどのように認識していたのかも読み取ることができた。ところで、このような観点の研究は、現在、北米の研究者が最先端にいる。したがって、2年半の本研究で積み上げてきた実証的な成果を理論的に発展させるためには、彼らとの議論が不可欠だった。とりわけ、次頁の学会発表の項で挙げた報告は、米国国務省の奨学金(U.S.Department of State Title VIII Program)も得て行われた。 (2)の問いでは、ワクフ(財産寄進制度)を重視した。ワクフ研究は、イスラーム研究上の最重要課題の一つだが、ロシア帝政期のワクフ研究は、ようやく始まった段階にすぎない。今年度は、ヴォルガ・ウラル地域、西シベリア、トルキスタン、クリミア半島のワクフの比較を行い、なおかつ問題の所在を他のイスラーム地域研究者にも提示する目的で、ロシア帝国下のワクフ研究序説のような論文を『イスラム世界』に発表できた。
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