本年度の主たる研究計画は、(1)「現象学における他者論、間主観性の理論を言語発生という観点から再検討すること」と(2)「言語発生の社会認知的基盤を認知科学的観点から明らかにすること」であった。他者問題を扱った現象学的議論としては、フッサールの「間主観性」や「感情移入」、メルロ=ポンティの「間身体性」といった概念などがあるが、どれも一人称の私秘性を突き崩すには至ってはいないと見なされてきた。そこで本研究では特に、意識の哲学の一人称的観点からの分析と認知科学の三人称的観点からの研究のあいだにあるギャップを意識しつつ検討をおこなった。ここから得られたのは、意識の哲学から身体や他者へと関心を移行させていった展開期の現象学の二人称的観点からの分析を心理学の実験的研究の現場へと組み込むことによって、言語発生やその前段階である感情の発生を科学的に捉えることが可能であるという見通しである。それには、実験研究におけるターミノロジーを現象学的知見を踏まえて再構築する必要がある。以上について、二つの研究発表と共著書において展開してある。次に(2)についてであるが、哲学が他者問題を一種のアポリアとして捉える方向にある一方で、心の理論や社会的認知をめぐる認知科学の最新の実証研究は、心的状態についての三人称的知識がこれまで考えられてきたほど狭くはないということを示唆している。欧文の共著論文は、言語発生の社会認知的基盤について、現象学と発達心理学や霊長類学といった認知科学の知見を踏まえながら検討している。社会認知的基盤を理解するばあい、三人称的観点だけでなく二人称的観点も問題になるが、後者を認知科学の客観的な成果のなかにいかに組み込んでいくかということがもっとも重要な問題になっている。前出の欧文論文をさらに展開してこうした問題に踏み込むことが今後の課題として浮き彫りになった。
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