本研究では『純粋理性批判』における「仮象の論理学」としての弁証論の成立が、「蓋然性の論理学」としての弁証論という伝統的解釈を否定する過程に対応していることを発展史的に明らかにした。前批判期のカントは伝統的な理論的-実践的論理学の区分に基づいて、「蓋然性の論理学」を実践的論理学の一部門として位置づけている。理論的論理学が完全な認識の条件としての概念、判断、推理の規則を提示するのに対し、実践的論理学はこうした認識に到達するための手段を提示する。カントは前者を「識別の規則」にしたがって認識を制限するがゆえに「批判」と称し、後者を「執行の規則」にしたがって認識を構成するがゆえに「オルガノン」とも称して、両者を相互補完的な関係において把握している。しかし1770年代に入ると、実践的論理学は規則の適用を再び規則によって説明するトートロジーを犯しているという批判に加えて、「一般論理学はオルガノンではなくカノンである」という見解の成立によって、オルガノンとしての実践的論理学のあり方そのものが否定されるようになる。そこで繰り返し現れるのがオルガノンとしての論理学は弁証論であるという批判である。ここで念頭に置かれている弁証論とは、アリストテレス以来の伝統的な分析論-弁証論という区分において理解されている論理学の一部門としての「蓋然性の論理学」に他ならない。カントによれば、この論理学はある不十分な認識の根拠を十分な根拠とではなく、たんにそれと反対の不十分な根拠と比較するだけで、蓋然性の程度を客観的に規定するのではなく、主観的な仮象を生み出しているに過ぎないのである。こうして従来「蓋然性の論理学」として解釈されてきた弁証論は「仮象の論理学」に他ならないことが明らかにされたのである。
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