前年度までの研究でチベットの仏教がインドのナーガールジュナ(龍樹)の理解に基づくことについての全体的な見通しが得られたので、今年度はダライ・ラマ法王をはじめとする高僧の教えに出ることにつとめ、チベットの伝統的なあり方への理解を深めた。 ナーガールジュナは当時、仏説と認めるか否かで議論があった大乗経典とそこで説かれている六波羅蜜の実践について、釈尊が初心者には施戒生天の教えを説き、次に輪廻からの出離を説き、最後に四諦八正道を説いたという次第説法と重ね合わせ、布施・持戒・忍辱を生天の教え、次に輪廻からの出離が目指され、その上で四諦(苦集滅道)の実践的瞑想法としての十二因縁の順観と逆観によって得られた有無を超えた空の境地に留まることこそが、仏教固有の瞑想法である止観の実践(禅定・智慧)であると位置づけた(『勧誡王頌』)。そして空の瞑想が仏陀の法身の因、一切衆生に対し菩提心をおこして福徳を積み、廻向することが仏陀の色身の因であるとして、無上正等覚者である仏陀となる因は有限なものではありえず、概念を超えた空や無数の衆生のための福徳こそが仏陀の因となるもので、(阿含経典にも断片的には説かれているが)それを主題的に説いている大乗経典は仏説と考えなければならないと結論づけた(『宝行王正論』)。この、次第説法に六波羅蜜を重ねた理解こそが、チベット仏教のラムリム(菩提道次第)の発想の元になったものと考えられる。 現在の日本における一般的な仏教理解は、明治以降、西洋の仏教学を取り入れたものに基づくが、このようなインドからチベットに伝えられた伝統を踏まえて読み直すことで、本来の実践性を回復し得ると考えられる。
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