研究実施計画では『山海経』、博山炉等を考察するとした。拙論「陰陽と房中術(09年8月原稿提出、未刊)」では馬王堆房中書『十問』の「陰陽不死」を考察。巫成昭は「陰陽とともに生き、陰陽は死なない」とある。『山海経』海経には巫彰などが不死の薬をもつ。「アツユの尸は、みな不死の薬を操り、尸を守る。アツユは蛇身人面で貳負臣が殺した」とある。注釈は、肉体を腐らせず、復活を願ったと解釈する。蛇はエジプトで再生のシンボルだが、この話はエジプトのミイラ信仰に似、神話のオシリスを想起させる。アツユ、貳負臣は外国人名の音訳にみえる。オシリスは弟セトに殺され、妻イシスが復活させた。死者が復活するミイラ信仰の根源の話でもある。『山海経』海経は外国の珍奇なもめを紹介するが、ここはエジプト由来の伝承の伝播だろう。復活観念は「沈んだ太陽=死」が「再び昇る=復活」という循環に基づく。『十問』では「陰陽不死」だが、陰陽は『易』繋辞伝で日月と結びつく。月もまた満ち欠けという循環を繰り返す。循環再生を不死と考えたのだろう。『十問』の「日月に向かってその精光を吸う」は、日月を体内に取りこむことで不死となるという。「陰陽不死」の象徴が日月だろう。「鏡と太陽信仰」では中国鏡がエジプト以来の太陽の象徴で、鏡背の図案や鏡銘に太陽と関連するものが多いと指摘。副葬に鏡を用いるのは、太陽にもとづく死者の復活観念と関わると推測した。神仙思想は死者が復活する尸解仙から始まる。『道教美術』(勉誠出版、印刷中)では、「古代オリエントと道教美術」を担当し、パルメットと霊芝・ヨルダンの香炉と博山炉・エジプトのバ・カと魂魂・カノプスの壷と五蔵神・ベスと力士、西王母と、東西の比較を行った。これまで神仙思想およびその基礎となる中国の死生観に関して、外国の影響を大きく受けているとしたものはないが、本研究は、その可能性の一端を切り開いたものと考える。
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