平成20年度には、フランスへ二度、アメリカ合衆国へ一度渡航し、研究遂行上必要な資料の幅広い収集を行った。フランスからは、主に、2004年以降のフランス精神分析の動向にかんする資料(とりわけ、精神療法家の資格認定をめぐる政治的言論にたいするラカン派精神分析諸組織の対応、および、この政治的言論の背景にある認知行動療法とラカン派精神分析の対決、という二つの軸に沿った文献)を多数持ち帰った。これらは、フランスにおける、さらには、ヨーロッパや南米諸国におけるラカン派精神分析の現状を伝える重要な資料であるが、これらの資料を扱うことができるのは我が国では報告者のみであると自負している。他方、アメリカ合衆国では、ワシントンD.C.の議会図書館を訪れ、フロイトのいくつかのテクストの草稿や、1950年代のパリ精神分析協会の分裂にかんする貴重な資料を入手することができた。我が国では、フロイトの草稿がすべて同図書館に収められていることすら知られていないばかりか、ラカンをラカンとして誕生させることになるパリ精神分析協会の分裂劇をいわば外側(国際精神分析協会事務局)から捉えた資料にじかに当たった専門家はこれまでのところ皆無である。これらの資料は、したがって、我が国では報告者のもとにしか存在しない。さて、以上の資料をもとにして、報告者は本研究の六つのサブ・テーマのうち、「フロイトによる宗教批判、およびラカンの宗教論」ならびに「今日の精神分析運動を現代の啓蒙とみなす精神分析家の言論」という二つのものについて、思想史的・歴史的検討を加える作業に取り組んだ。これらの取り組みの成果は、それぞれ、近く論文という形でまとめられるだろう。他方、昨年度から引き続き取り組んできた「ベンサム、カントおよびサドを介してフロイトと啓蒙思想をつなぐ試み」というサブ・テーマについては、目下、成果をまとめるための論文を執筆中であり(今夏に出版の予定)、また「フロイトの「死の欲動」概念の現代的受容を問う試み」というサブ・テーマについては、成果の一部をすでに長編の論文として岩波書店『思想』誌上に発表した。
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