今年度は、8月20日から9月4日にかけて、ポーランドからイスラエルをまわる貴重な調査旅行を行い、資料においても証言においても、大きな収穫をあげることができた。 ポーランドではワルシャワのユダヤ史研究所において、ワルシャワ・ゲットーで抵抗組織が撒いていたビラの写しに接することができ、また、ゲットー跡地(とりわけ最後の拠点となったミワ通18番地の地下壕跡)から、トレブリンカ絶滅収容所の跡地、さらにはアウシュヴィッツおよびビルケナウ絶滅収容所を訪ねることができた。 同時に私の研究は、ナショナリズムを強めてゆく現在のポーランドにおいて、ワルシャワ・ゲットーの記憶がどう継承されてゆくのか、という大きな問題にも直面することにもなった。ゲットー蜂起を奇跡的に生き延びたイツハク・ツケルマンと妻のツィヴィアは、翌年のワルシャワ蜂起にも参加するのだが、このようにゲットー蜂起とワルシャワ蜂起に連続的に参加した「ユダヤ人」の記憶は、現在のポーランドにおいて、きわめてマイナーな位置に置かれている、ということである。 一方、イスラエルでは、エルサレムのヘブライ大学、ハイファ郊外のゲットー戦士博物館、テルアヴィブの文書資料館を訪れることができた。とくに、ヘブライ大学ではカツェネルソンの世界的な研究者であるシェイントゥフ教授と面談することができ、カツェネルソンとツケルマンの関係について、貴重な証言を聞くことができた。ゲットー戦士博物館では、ゲットーでカツェネルソンの芝居に役者として参加していたハヌカ・ラヴァンさんにお会いすることができた。彼女からはゲットーの思い出とカツェネルソン、ツケルマン、ツィヴィアについて、いくつも貴重なお話をうかがうことができた。
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