ヨネ・ノグチ(野口米次郎、1875-1947)は明治以降、初めて英語で書かれた詩集を刊行した日本人として知られ、第二次大戦までは、その思想や芸術観はイエイツらの象徴主義にも影響を与え、戦前、欧米の文学界ではアジアの詩人としてはインドのタゴールと並んで高い評価をえていた。しかし、欧米の物質主義に対して東洋の精神主義を唱え、第二次大戦中、若者を戦争へと駆り立てるような詩を盛んに発表していた。そのような国粋主義的言動に対して、戦後の文壇は厳しく戦争責任を問い質したが、彼自身は何の釈明もしないまま、まもなく没したのである。そのためにヨネの思想や美学を論じることはいわばタブーとなって、今日ではほとんど忘れ去られた状態にある。 一方で、ヨネの息子である彫刻家イサム・ノグチの世界的評価が高まり、イサム芸術における東西文化の矛盾的共存という特質が父親のそれと重なっているようにも思われる。例えばイサムは、芸術家ヨネのことについては、「私の父ヨネ・ノグチは、日本人であり、詩を通じて、西洋に対して東洋を理解せしめた人物として早くから知られています。私はこれと同じ仕事を、彫刻によって行いたいのです」とまで書き記している。 父ヨネは青年時代を欧米で過ごしたがゆえにかえって日本主義・東洋主義に傾倒し、逆に息子イサムは青年時代を日本で過ごせなかったゆえに、日本的なものに対して鋭い感性を発揮した。本研究は二つの文化に同時に精通しながら、そのどちらにも自己同一性を見いだせないことを「文化的二重国籍性」としてとらえ、その矛盾を生きて、芸術作品として実現することの重要性を明らかにするものである。
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