平成22年度は、1291年のアッコン陥落を前にしたエルサレム王国最終局面(1280~1290年頃)において十字軍遠征が中世後期の西ヨーロッパ彩飾写本に及ぼした影響を明らかにするため、ケース・スタディとして、1280年代に北フランスで制作された2点の写本作品(サン・トメール市立図書館所蔵写本およびブリュッセル王立図書館所蔵写本)に関する考察を発表した。本論では、これまで美術史学分野においては散発的な言及を除き本格的な研究は発表されてこなかったこれら2点の写本作品について、1280年代初頭までパリで活躍しその後に十字軍国家の最後の拠点となったアッコンにおいて活躍したことにちなみ<パリ-アッコンの画家(=聖ヨハネ騎士団の画家)>と命名された逸名の写本彩飾画家の影響下に制作されたことを、明らかにした。さらに、これら2写本(いずれも『十三世紀フランス語聖書』後半部を収録)は、福音書冒頭の扉絵<エッサイの樹>図像において、1280年代にイングランド王子とホラント伯娘の婚約を記念して制作されたと推定されるケンブリッジ所蔵の『詩篇集』や同じくイングランド制作の『十三世紀フランス語聖書』(ロンドン大英図書館所蔵)、さらには1260年代制作の北フランス・カンブレ制作の『朗読用福音書』(カンブレ市立図書館所蔵)中の同主題の挿絵図像と密接な関係を有することを指摘し、『十三世紀フランス語聖書』が十字軍遠征に深い利害関係を有した英仏海峡を挟む諸州に普及・伝播した背景やその影響の一端を明らかにした。 なお、平成22年度中には発表できなかった研究成果の一部は、翌平成23年度に引き続き発表する予定である。
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