本年度は鎌倉仏教の成立に関わる信仰のイメージ化についての基礎的な調査と研究を中心に行った。鎌倉仏教の特色のひとつである「わかり易さ」、すなわち易行性を物語る上で、例えば浄土宗における本尊観の諸相からもうかがい知ることができる。それは阿弥陀独尊または三尊像という形で表されたものが多く現存するが、法然はその残された遺文などから見ると、きわめて自由な本尊観を認めていたことが確認できる。これは古代的な作善信仰に対する、アンチテーゼとしての易行性の表れと見ることができよう。しかしながら近年までに確認されている法然関係の造像例の多くが快慶とその工房によって造立されている事実は、本研究の主題である「信仰のイメージ化」に快慶が深く関係していたことを物語るののといえよう。特に滋賀・玉桂寺阿弥陀如来像(1212年作 重要文化財)、滋賀・阿弥陀寺阿弥陀如来像(1235年 行快作)といった作例は安阿弥(快慶)様式の代表的な作例であるが、これらの造像に関わった当時の皇族、貴族、武家、僧侶などをその造像の背景から紐解いてゆくと、そこに従来語られてこなかった人的なネットワークの存在が確認されるところとなった。ことに石清水八幡宮の検校家である善法寺家祐清一門と快慶の関係についての調査を進めた。現在京都国立博物館(美術院国宝修理所)で修理と調査が行われている正法寺八角堂阿弥陀如来像(鎌倉時代初期の安阿弥様の丈六像)などについて文献調査を進めた。 また日本宗教文化史学会において発表した「仏師快慶と承久の乱の周辺」(2007・11)は、承久年間前後における快慶の動向と後鳥羽上皇、法然教団、重源滅後の東大寺勧進組織の消長との関係を中心に論じた。和泉書院『関西を創造する』に執筆した「俊乗房重源をめぐる断想」では畿内から中国地方への鎌倉仏教の展開と快慶の外護者である重源との関係について論じた。
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