本年度は、主として「日常性」の概念を研究し、「都市」の形態についての実地調査を行った。後者については、古代ギリシアのイオニア植民地の都市(エフェソス、ベルガモン、アフロディシアスなど)を見学し、ギリシャ本土とは異なる城壁抜きの都市形態に触れた。「日常性」については、辞典項目、M・シェリングハムの『日常生活』(2006)などを参考書としつつ、H・ルフェーヴルの日常性の哲学を読んだ。いまだ原稿化するには至らない状態で、全体像が見えていないが、ここではルフェーヴルの説の基調を記す(このフランスの哲学者は「日常生活」をその思索の中核に据えた先駆者であり、それが例外的であることは、今もあまり変っていない)。かれの出発点は、しがない人びとの仕事、関心事、娯楽などが「現実」を構成している、という直観にあり、それは哲学が自らの非現実性の自覚とともに発見した非哲学的なものである。それは無意味なものの総和であり、特権的な音符をもたない無調音楽に似ている。バルザックがフロベール、ゾラ以来、文学のなかに日常性が侵入してきているが、現代の社会はその日常性と隠喩のレベルに二重化している。かつては日用品まで様式をもっていたが、いまや世界は散文化し、喪った様式への郷愁に浸され、同時に祭りが喪われる。この日常性の支配する世界は、商品の世界において実現したもので、かつての作品は単なる生産物となった。この商品の支配する社会は、工業化と都市化という二つの面の進行として現実化してきた。このような概観に立って、ルフェーヴルは1950年代以降のフランス社会の展開を分析している。その日常性の分析の興味深いひとつの点は、様式、都市、作品と商品などの他の主要な美学的概念との深い相関性を捉えているところにある。
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