口頭発表は実質3点だが、いずれも新しい成果である。ソウルの世界哲学会議の全体会議での招待講演は、美学の歴史を振り返り、現代におけるその世界的課題を論じた。特に、藝術が、近代初頭に、その3つの形態から概念形成がなされてきたこと、また、当時、美がアクチュアルな文明的課題と背負っていたこと、その際、美は経済活動とならぶ位置を占めていたことを明らかにした。遠近法についての研究は、日本の空間感覚のあり方を主題とするもので、絵画の遺品のない時代の和歌から、原型的な空間構造を析出し、その遠近法が絵画において実現されたのが、時代を下り、広重の浮世絵においてのことであり、その構図は西洋では風景写真に取り入れられて普及していることを明らかにした。また、かぜの詩学は、万葉集を主たる素材として、日本人の感性にとってかぜがいかなる特質のものであったのかを考察した。「花鳥風月」のなかでは、やや異質な存在だが、かぜは、古代人にとって、宇宙のなかに動きを起こし、気を運ぶ媒体であり、特に離れた夫婦や恋人たちの間でその思いを伝える役割のあるものであり、その思い人の現前を示すものとも考えられていた。この民間信仰的な概念はやがて消えるが、「かぜ」の概念の言わば倍音として残り、美的な性格を支えるようになる。また、漂白する旅と結びつく風は、中世以降のものであることを解明した。これら3点は、そのまま「基礎概念」の主題として、(計画している)美学辞典に収録されるような性格のものではない(可能性があるのは、遠近法だけである)。しかし、遠近法論考における風景の問題は、「環境」の項目に関係し、「美のポリティックス」は「大衆」や「商品」の項目と深く連動している。これらについては、別途研究を進めているが、これらを主題とする論考のかたちには、いまだたどり着いていない。
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