研究代表者は、高野幽山の『和歌名所追考』を順次、翻刻紹介していっている。本隼度は「秋田郡山本郡」を翻刻紹介した。神宮文庫蔵写本は全国にわたる膨大な写本であり、研究計画にも触れたように、芭蕉の『奥の細道』を意識した国々を現在は集中的に翻刻していっている。延宝頃、芭蕉が江戸に出たばかりの頃、水道工事に携わっていたのは、さまざまな弟子の指摘がある所である。関東代官家の伊奈家は、代々江戸の治水工事に手を染めて来た人々であり、藤堂家とのつながりも深い。すると、少なくとも、芭蕉は藤堂家の家臣であった頃から一貫して、藤堂家とつながっていたと考えるのが妥当であろう。すなわち、後に曽良が幕府巡見使となっているという事実と照らし合わせてみる時、芭蕉の『奥の細道』の旅にもズポンサーとしての江戸幕府の姿があった可能性は否定出来ない。そのような視点で、改めて久居藤堂家によりなされたであろうこの膨大で緻密な諸国の地誌を見直してみたい。研究分担者は以前論文の中で、「藤堂任ロの命令で、高野幽山にまかせられ、恐らく出版の予定があったであろうもの」と示唆した。しかし、元禄三年に出された、『土芥冠〓記』という諸国の大名の通信簿と同じく、出版が目的ではなく、諸国の精緻な地誌情報を把握しておきたい目的が藤堂家にはあったと考えた方が良いのではないかと認識を新たにした。研究分担者は、本年度は、寛文期から元禄期にかけての地誌を年代別に整理し、その資料の所在を把握してデーターベース化した。次年度はこれを更に整備すべく、国文学研究資料館のマイクロフィルムを用いて、それぞれの地誌の内容を具体的に見ながら把握していきたい。
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