能楽史研究の基本資料である番組の収集に関しては、戦後の「白山比〓神社奉額謡番組」(五葉会)及び明治維新前後の「南町たゝみ屋ニおゐて興行」(和泉流狂言師畳屋九郎兵衛宅での能三番・狂言三番の興行)ほか10点の番組を入手した。近現代能楽史の地方展開の跡をたどる有益な資料と考えられる。宝生紫雪ほか能楽関係者の菩提寺、金沢・全性寺の御協力のもと、位牌・墓石等の撮影を行うと共に、寺の過去帳を調査された諸橋権之進家の子孫の方から情報提供をいただき、権之進以前と以後の相馬家系図や活動ぶりを知る手がかりが得られた。金沢の能楽としては、泉鏡花及びその作品との関係の解明を進める過程で『卯辰山開拓録』に注目し、とくに豊国神社境内に今も残る「業平の井筒」についての記載を確認し、さらに『浪華百事談』明治28年)所掲『落穂集』に在原寺の「井筒」を買い取った稲寺某・豊竹越前らが結局は持ちきれず、「井筒」が転々とした話が記載されていることから、金沢における「井筒」の変遷もこれと類似する例であることが分かった。 地域別の研究では新潟県の県史・市町村史における能楽史記述を調査し、新作能<兼続>に見られる地域振興との関係を考察したが、新作能とは別に直江兼続の養子となった本多政重をシテとする番外曲<直江>の存在に光を当てる講演を行った(「越後の能楽、能楽の越後」於新潟県立歴史博物館)。続いて富山市立能楽堂・高岡市青年の家能舞台を訪問し、その沿革や施設利用の実態について聞き取り調査を行った。さらに、神戸市・大阪市・豊中市・堺市の神社等における舞台の変遷の調査を行った。これらの調査を通して、とくに最近の数年に少子高齢化の影響が顕著なり、施設の利用が減少している事実がどこでもはっきりと把握された。そういう継承・保存の危機を、過去にどう克服してきたか、改めてその視点から能楽雑誌や地方自治体史の記述を見直す必要を再認識した。
|