当初計画の内、特に1)夕霧巻に存在する論理<おもての論理>-第一部世界のように見えない世界をも見通すような見え方ではなく、視界を遮るものがあれば、如何に機能的に特権的立場の人物であって、見えないというあり方、このような遠心的な世界構造は、求心的な力学の働く王権索求物語のありようとは対照的なものである。2)若菜上巻に記される「老」の問題は光源氏に突きつけられた直線的時間に関わるものである。祭り行事によって終わりのない円環の時間を主催する王権的あり方と、これもまた対照的なのである、の2点を核として考察してきた。第二部の王権問題は、直接論じるのではなく、第二部を意識する中で第一部世界を考察することが有効であると理解した。 その結果、一つには、「玉鬘」という登場人物の物語での役割が大変重要であることに気付くことになった。この人物は、第一部で登場した後、第三部竹河巻に至るまで、格別に目立った活躍があるわけではない。しかし、上の2)の問題に関係して見過ごせない役割を演じているのであった。若菜巻での「老」問題は、玉鬘十帖との関連を説かない限り本質的なことは見えないことが判明した。 二つには、夕霧世界に見える空間的あり方の特色が、第一部との繋がりにおいてどう関わっているのか、これも第一の考察点である「玉鬘」問題と結びついているのだが、相互に関わりながら主題的に王権的、あるいは王朝的な価値観を相対化して行っていることが見えてきた。
|