平成20年度においては、平成19年度に行った次の5つの作業による成果を発展させた。それらは、(1) 電子化資料の蒐集(2) 王政復古期演劇テクストの詳細な分析による都市ロンドンの文化の多面的研究(3) 理性と人間の肉体的欲望との根本的矛盾により「ウィット」が「センチメント」に変容する過程の解明(4) アフラ・ベインにおける演劇から小説へのジャンル転換についての分析(5) 小説勃興とセンチメント精神史との関連についての理論構築の準備作業、である。テクスト分析を中心としたこれらの作業の結果、「都市ロマンス文学」というジャンルを措定することの妥当性が明確となった。16世紀後半から18世紀に至るイギリス文学の流れには、都市の拡張に端的に示される経済発展との密接な関連が認められる。騎士階級の文化であった中世的ロマンスが、都市すなわちロンドンの市民の中に浸透して、その文学形成の枠組みとなった。都市の住民としての近代文明人がその内側に抱え込むこととなった根源的矛盾、すなわち理性と野性との葛藤は、王政復古期の貴族文化の中でも鮮明に見られる。貴族文化の「ウィット」は、新興市民階級の価値観を組み入れて「センチメント」に変容する。その精神史的変容は、文化の表現媒体としてのジャンルに地殻変動を生じて、デフォー、リチャードソンによる小説ジャンル創造へとつながった。本研究では、こうしたジャンル生成を惹起する都市文明の勃興と精神史の相関関係を明らかにした。さらに、夏目漱石と18世紀英文学の関係を探求することによって、比較文化的研究や19世紀英文学研究への展望を切り開いた。
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