研究概要 |
本年度は12世紀のイングランド国王ヘンリー二世の在位中に、古典古代の叙事詩や擬似歴史書から着想を得てフランス語で書かれた三篇のromans antiquesを主な研究対象とし、その中に含まれた君主論や社会観に関わる叙述を詳細に分析した。考察を進めるにあたってはまず、romans antiquesの作者たちがキケロやウェルギリウス、オウィディウス等の古典作家への造詣を深める舞台となったと思われる12世紀フランスの司教座聖堂付属学校における学究環境や、彼らの学んだ文法学や修辞学の具体的な教育内容について調査し、彼らの詩作活動に影響を与えたと思われるBaudri of Bourgueilのラテン語作品についても調査を行なった。と同時に、romans antiquesの作者たちと同様のラテン語教育を受けたclercsが、ヘンリー二世の王宮に書記や行政官として登用され、世俗主義の発展や政治思想の形成に寄与していたことを作品解釈における重要な手がかりとして考察しつつ、そうした社会的な文脈が個々のromanの中にどのように映し出されているかを分析した。romans antiquesに含まれる叙述の一部が君主論としての性格を備えていることは、すでに先行研究によって指摘されている。本研究はそうした叙述がカロリング朝以来の「君主の鑑」の伝統に根ざしたものであることを確認し、また同時代に書かれた政治倫理に関する代表的著作、John of Salisburyの"Policraticus"やGiraldus Cambrensisの"Liber de principis instuructione"の内容と通低するものであることを証明した。さらに、romans antiquesとの直接・間接の影響関係が指摘されている中世後期イングランドの詩人たちの作品(Geoffrey Chaucerの"Troilus and Criseyde,"John Gowerの"Vox Clamantis"と"Confessio Amantis,"John Lydgateの"Troy Book"と"The Siege of Thebes")を考察対象に加え、これらの詩人たちが、各々の社会的地位や思想的傾向、王宮への関わり方に応じてromans antiquesに表明された種々の君主観を独自の方法で敷衍させ、またそれらに修正を加えていることを明らかにした。
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