17世紀フランスの悲劇作家ラシーヌの文学的素養が16世紀の人文主義の延長線上にあることを前提とした上で、1)特にセネカを媒介として近代ヨーロッパに受け継がれたストア主義思想の影響がラシーヌの劇作品にも伺えること、その一方で、2)ラシーヌの創作態度が伝統を盲目的に踏襲するものではなく、意識的かつ選択的受容というべきものであることを、作家自身の受けた人文主義的教育(修辞学、文献注釈)や作家に間接的な影響を及ぼしたと思われる同時代の著作などに注意を払いながら、悲劇作品や序文の分析を通してテクストのレベルにおいて明らかにすることが本研究の目的である。 計画の2年目である本年度は、16〜17世紀のフランスにおけるストア主義の受容についての研究の一環として、セネカの著作(特に『寛容論』)の出版・翻訳状況についての文献資料調査を前年度に引き続いて行った。また、悲劇ジャンルとセネカ思想との関連、悲劇ジャンルへのストア主義の影響についても研究を行った。その成果であるが、1)フランス国立図書館その他の蔵書カタログを参考に16〜17世紀にかけての文献を調査し、セネカ作品の主要な版の書誌情報をまとめることができた。さらに、2)ラシーヌが修学時代に読んだ『寛容論』への「書き込み」を1649年出版の原本にあたって調査し、ピカール版(1952年)との異同を確認することができた。ラシーヌがポール・ロワヤルで受けた人文主義教育によって培われた古典作品に対する深い理解が後年の創作活動の基盤になっている、というわれわれの説を補強する要素だと考える。なお、ポール・ロワヤルにおける人文主義教育の意義についてはG. Forestier著『Jean Racine』の書評の中で強調しておいた。また、古典作品の受容から創作につながるプロセスを論文「ラシーヌ悲劇の創作過程」(吉川・田口編『文学作品はいかに生まれるか』所収、京大出版会、2009年刊行予定)で論じた。
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