本年度は、これまでの研究成果を総括し、ボヘミアとシレジアにおける多言語的な文化環境に関する学知が、文化資源として市民社会に発信されていくさいの地域的差異を考察した。 ボヘミアについては、前年度におこなった文学史的な知見の視覚化という観点に立って、テクストと画像を組み合わせる書籍の刊行が1960年代初頭から現在にいたるまで続いていることを確認した。そのさい、素朴な実証主義を乗り越える、メティアミックスの先駆的な異験だったエフリンタとルカスの写真集を詳細に分析し、プラハの文化環境を写真によって表現した手法の実態とその意義を明らかにした。あわせて同書の先進性が、著者たちの政治的・社会的な周縁性と呼応するものであることを論じた。シレジアについては、連携研究者の吉田耕太郎がこれまでの調査成果を「文化空間としてのシレジア」(『独文学報』第26号、2010年)として発表した。これは、同地域における多言語的な文化環境の資源化の事例として、シレジア博物館を取り上げ、その創設背景と機能を検証したものである。同館は、館蔵資料のオンライン・データ化による公開に積極で、現ポーランド領から追放されたドイツ系住民の復古主義的な団体の活動とは一線を画そうとしている。これは、EUの東方拡大後の、文化資源の新たな活用として評価される一方、その社会的機能の評価については、現在のドイツ-ポーランド関係の文脈を反映し、たえざる変化のさなかにある。 両地域におけるこれらの文化資源の蓄積と活用は、過去から現在にいたるドイツ-チェコ関係およびドイツ-ポーランド関係との緊密な相関のうちにあることが、具体的に明らかになった.同時に、プラハのユダヤ系知識人の活躍を中核に据えたボヘミア的多言語環境の文化資源化が、1950年代後半に始まり、さまざまなメディアを介して展開してきたのにたいし、シレジアでは住民追放問題や国境線画定問題に影響され、ようやく2000年以降に取組みが始まっている現状であり、中欧における文化的時差を典型的に示していることも確認された。
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