今年度は、シュルレアリストの詩人たちに始まり、コクトー、ポンジュ、ボヌフォワ、シャールの言語観について分析した。シュルレアリストの詩人たちについては、特にブルトン、アラゴン、エリュアールを中心に扱った。彼らの言語観に特徴的なのは、言葉が「何かを指す」「何かを意味する」ことを嫌い、詩からメッセージ性を排除するということである。ただし、アラゴン、エリュアールについては、この点がのちに彼らが飛び込むことになるレジスタンスの主張と合わないことから、やがてブルトンと袂を分かつことになるのだが、少なくともある時期までは、彼らの主張は、言葉と指示対象が次第に結びつかなくなるという現象につながっていく。コクトーは『職業の秘密』において、事物が言葉によって慣習化される以前の特殊な感覚について述べる。このような観点は、ボヌフォワにも共通してみられる。つまり、この二人の詩人は、言葉によって概念化できない、「いま・ここ」にしかない「この事物」と向き合うことを強調しているのである。また、ポンジュは、言葉ではなく、事物の側に立ってものを見る姿勢を述べており、やはり「事物」への愛着がうかがえる。シャールには、点字による看板についての詩篇があるが、これは言葉を絵画化してとらえる試みと言え、シュルレアリストの詩人たちとは違う角度からではあるが、言葉から意味を引きはがそうとする姿勢の現れと捉えられる。これらのことを示すことで、これまで個々に論じられてきた詩人たちに、ある程度共通する言語観がうかがえることが指摘でき、ある程度の時代性を示すことができたと思われる。
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