本年度はまず、伝統的な詩学の流れを確認するため、ジュネット、ヤコブソンの詩学について分析した。この二人は、いずれも詩を言語の機能という観点から分析している。ジュネットは『フィギュール』において、詩的言語を「隔りのある言語」と表現する。伝達を目的とする日常言語からは隔たったところに詩的言語があり、その言語の状態は夢の状態にも似ている、と言う。ここで注目したのは、「夢」の状態がいかに従来の言語から隔たっているかということである。ジュネットの言う「隔たり」の中では、言語の持つ記号性は全く切り崩され、意味を失っている。そこで、伝統的な詩学と詩人の言語観を、「夢」をキーワードに関連づけ直した。夢とは理性ではとらえられない状態に遊ぶことである。シュルレアリスムの詩人たちも、知性の詩人という色眼鏡で見られがちなヴァレリーも、この「夢」と詩を結びつけて考察している。ヴァレリーによれば、夢とは肉体を介さない状態であり、その点で、時間、空間の中に身を置かない独特の状況であるとも言える。この視点は、時間性を超越したもの、という点で、ボンヌフォワやコクトーがそれぞれの言葉で説いたように、対象が詩人にとって「いま、ここ」で「一度きり」現れる状態にも通じている。このように、本年度は、さまざまな詩人、批評家が行ってきた、詩的言語における言葉と対象の結びつきについての分析を考察しなおし、それらを時間論との関わりでとらえ直した。こうした分析の中から、ヴァレリーに関するものの一部を『ヴァレリーと時間』という論文で発表した。
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