1、ニーチェのバッハオーフェン受容の実態解明 ヨーロッパ近代における文化危機は1920年代になって知職人を中心に鮮明に意識化されるが、危機意識の拠り所の最たるものは「母権制」問題であり、この問題を半世紀以上も前に提起したのが、スイス・バーゼルの知識人バッハオーフェンだった。バッハオーフェンの「母権制」を中心とする著作は、1920年代になって発掘、注目されることになったが、ニーチェがバッハオーフェンと頻繁に行来した1870年当時は、まったく無名の「バーゼル・サークル」の一員にすぎなかった。本論文では、ニーチェがバッハオーフェンの問題意識を受容し、自身の著作に取り入れ、わがものとしたプロセスを解明した。従来、ニーチュの独自の哲学と捉えられていた内実が、いかに他者からの受容うな実態をとくに彼の処女作『悲劇の誕生』に即して解明した例は、内外を問わず見られない。 2.「文化危機」の意識化の実態について 私はドイツ・バイロイト在住の研究パートナーから、過去20年に渡って有益な示唆を得てきたが、今春、約1週間のバイロイト滞在の機会を得て、あらためて1920年代を中心に、いかに当時の知識人がヨーロッパ文化の危機意識を鮮明にしたかについて、意見交換するとともに、有益な示唆を得た。なかでも現在では完全に忘れられた思想家ルドルフ・パンヴィッツについて、本研究遂行のために避けては通れない在である点を教えられた。
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