近世ドイツの鉱山・山岳伝説研究を始めるにあたり、まず当時の鉱山空間そのものを社会史的・文化史的に位置づけることが求められた。その素材として取り上げたのは、中世末期から近世への転換期に生まれた二つの鉱山文学資料、すなわちリューライン・フォン・カルフの『鉱山袖珍』とパウル・ニアウィスの『ジュピターの裁き』である。中世の秘儀的鉱夫世界から、やがてフッガー家など大資本の支配下に置かれ、近代技術と貨幣経済の洗礼を受けてゆく近世的鉱山への変貌がそこには確認される。前者では、大地母神の観念を抱く錬金術的世界観と、キリスト教の聖ダニエル信仰を共存させ、聖なる山の観念を維持しているのに対し、後者では、盛期人文主義者G・アグリコラに典型的に見られる、技術的操作対象としての自然観への過渡期的立場が見られる。ニアウィスの作品中、人間に裁きを下す運命の女神フォルトゥーナは新しい時代の到来を予言しており、人間の功利性のため自然が適宜利用される立場を肯定する。いわば男性による自然開発を、古来の母なる女神は押しとどめることができず、別の世俗的女神フォルトゥーナが現われて、新しい流れを追認する形になっている。このフォルトゥーナ表象は、中世から近世にかけての西欧文学に頻出し、とりわけ当時人気を博した民衆本『フォルトゥナートゥス』において、人間の世俗的処世知と貨幣経済の重要性を説く作品の要となっている。異教的表象としてのフォルトゥーナはまた、ニアウィスを含めた人文主義者たちの好んだモチーフでもあり、世俗化してゆく世界観の傾向を象徴している。以上の論考は、2008年8月に印刷公表される予定である。なお本年度においては、伝説と文学の相互関係に関わる従来の研究活動の成果として、ドイツ東部のクラバート伝承に由来する20世紀小説と、スイス・ベルン地方の山岳・蜘蛛伝承に関わる19世紀小説について、それぞれ論文を公表した。
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