本研究は、中世末期から近世以降のドイツ語圏に伝承された鉱山・山岳伝説を、ドイツ精神文化史のなかに位置づける試みである。前近代における鉱山表象の文化史・社会史的分析である論文(「希土」33号所収、11.〔雑誌論文〕の項を参照)に続いて、今年度は、グリム『ドイツ伝説集』冒頭に置かれた「三人の鉱夫」伝説の起源と機能に関する研究を行った。まず、1960年代にドイツの民俗学者のあいだで交わされた、この伝説の起源をめぐる論争を回顧し、1) 古代的・前キリスト教的心性の残存、2) 中世キリスト教的煉獄観の反映、3) 特殊鉱山的な異界観という3つの立場を確認した。民衆層の世界観は、しかし例えば日本の地蔵信仰がそうであるように、根本的に折衷的なものであることに留意すると、ドイツのこの三者の議論も、排他的に対立させるよりは、むしろ有機的に関連付けあうことが望ましい。はたして「三人の鉱夫」伝説は、不慮の死を忌避する民衆的な死生観を基にして語られた中世以降の死者伝説・死霊伝説の一翼をなしており、近代以前の葬送観を反映する物語として捉えることができる。やがて近代文明の重要な担い手となる鉱山を舞台としながら、「山霊」という鉱山の妖怪を救済の媒介者とすることで、この伝説は、おそらくは不慮の事故によって死んでいった多くの鉱夫たちの鎮魂を行っている。葬送儀礼の役割を、伝説という言説が担うのである。しかも鉱夫たちは、生死を司る異界としての山、という古代的な山岳観と、信仰の功徳というキリスト教的な救済観との融合において、いわば二重の埋葬儀礼を受けている。この論文は、2009年春に奈良女子大学の研究論文誌において印刷公表される予定である。なお、印欧語族の神話伝承研究に重要な仕事をなしたデュメジルの論争相手の一入、P・ティーメのインド学に関わる論文の翻訳にも、協力者として参加した。
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