保守革命議論のなかにひとつの転機があり、「前期」において理想主義的・ユートピア的、「後期」においては現実的・政治的というのが、われわれの研究の出発点であった。理想主義者の代表者ホフマンスタールの「保守革命」は、政治的実践のなかに巻き込まれたにもかかわらず、歴史哲学の用語として用いられたのだというのが研究代表者・青地伯水の主張である。ホフマンスタールが『国民の精神空間としての著作』講演のなかで、「保守革命」の反動的契機として「宗教改革とルネサンス」をあげている点は、その根拠として注目に値する。彼は中世から近世への転換であるこの二つの運動以前の神聖ローマ帝国にユートピア世界を見出しており、これは西ヨーロッパ世界の東漸運動、とくにフランス革命に反動的契機を見出す保守革命の奔流からは逸脱している。 ホフマンスタールの理想は、宗教改革により教会が分裂する以前の宗教共同体であり、ルネサンスによる個人の誕生以前の全体性をおびた国民像であった。一方、現実に対して積極的に働きかけた保守革命論者の代表として取り上げられたのは、トーマス・マンである。連携研究者・友田和秀は、マンが1937年亡命文学雑誌『尺度と価値』で「保守革命」をナチスのドイツ革命のスローガンというネガティヴな用法から救済し、この概念の本来的な恢復を要請しているという。マンはナチズムの似非革命的な性質を見抜いて、ファシズム後の世界を構築するにあたって、踏みにじられたデモクラシーやフマニテートを新たなものへと刷新する必要性を説く。マンにおいては、デモクラシーに新たな生を与えるこの真の革命性を表現するのに用いた言葉が、「保守革命」である。この二人の例から、「保守革命」という語を通じて過去と未来との対極にある「理想的国民」像が、明らかになったのである。
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