Constance Markieviczに関する論文を纏めることが、今年度の主とした研究となった。昨年のアイルランド研究学会で、口頭発表に対して得た反応や議論を踏まえて、資料を見直し整理し、かつ新たな資料を見出し、ケンブリッジ大学図書館及び帝国戦争博物館にて(個人研究費による)資料閲覧等を行った。Markieviczは、日本では、ほとんど注目されておらず、論考も著されていない。日本の研究者は、通俗化され、戯画化されたとも言える彼女の表象に疑念をはさまずに、受け入れてきたと言えるであろう。一方、アイルランド、イギリス、アメリカでは、21世紀に入って、実に多くの書が彼女について言及している。自らの生き方をケルト女性の特質と重ねて、アングロ・アイリッシュの出自を否定した彼女に、21世紀アイルランド女性の生き方を探ろうとする。 アベイ座を通して、Markieviczと親交があったLennox Robinsonは、現在その作品が上演されることは少なく、作家としての評価は高いとはいえないかもしれないが、彼が関係した多くの大作家たちとの関連で記憶されている。10月に参加したダブリンのRoyal Irish Academyの学会は、当初彼をテーマとするはずであったが、実際には彼を含むアセンダンシーの「大きな館」へとテーマが変更した。その中でアセンダンシーのアイルランド社会における位置づけを考えると、Robinsonが重要な役割を担うのである。今、彼の芝居を読み直すと、予想外に面白い。決して泡沫作家ではないと思われた。彼もまた日本では取り上げる研究者がいない存在であるが、アイルランドのイングランドに対する意識を読み取るにふさわしい作家であると思われる。
|