本研究では、分析対象を年代順に大まかに四つに区分して考察する計画である。本年度は第一段階として、アーサー王伝説発展の分岐点となった1136年ごろに執筆されたジェフリ・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』前後の文献を扱った。本研究の眼目であるイングランドとウェールズの国家意識の変遷をアーサー王伝承の中で捉える試みとして、ウェールズの国家表象とされる「紅いドラゴン」に着目し、まず「ドラゴン」の字義の変化をギリシア・ラテン語に遡及して考察し、ウェールズ語における特異性を分析した。ウェールズ語にはドラゴンは想像上の怪物を意味するだけではなく、ギリシア語やラテン語には含まれない「戦闘を先導する者」の意味があることを明らかにした。そのうえで、アーサー王年代記として最古の部類に属するネンニウスに登場した赤と白のドラゴンの表象が、ジェフリ以前のブリテン島における被征服民と征服民のヘゲモニーを示すことを論じた。紅白のドラゴンの表象はさらにジェフリの『ブリタニア列王史』の後続年代記であるワースとラヤモンにおいてさらなる変容を遂げる。その変容の様相は、ブリタニア先住民の表象であったはずの紅いドラゴンが、ノルマン人による征服を経て、被征服民と征服民の図式を自在に塗り替える機能を果たしていることを示すもので、それはアーサー王伝説の変容・受容の在り方をも照射する。この点を『英語英米文学』の論文で論じた。 アーサー王は最古の伝承に記録された時点で「戦闘を率いる者」としての側面を持っていた。『頭韻詩アーサーの死』に見られる戦争観が14世紀当時の戦争に対する概念とアーサー王という表象を用いることによってどのような意図が隠されているのかを分析する論考を、国際中世学会の特別セッション「中世における反戦感情」で発表し、Edward Kennedy教授(米国)およびAndrew Lynch教授(豪州)と知見を交換する機会をもった。この論考は加筆の上、英文発表予定である。
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