研究初年度の2008年度は、コネチカット植民地の創設時の歴史を研究し、トマス・フッカーの原典を読んだ。1630年代に行なわれた入植の際に使用されたウオリック・パテントと呼ばれる英国貴族のウォリック伯爵に与えられた植民地事業の開発許可の意義を解明し、これによってニューアムステルダム(現ニューヨーク)にいたオランダ人と対抗した経緯を解明し、オランダとの領土獲得競争について解明した。ボストンとケンブリッジからの入植以前は、ユネチカット川流域では、セイブルックに英国植民地の基地があったが、広大な牧草地を持ったハートフォード周辺に人々が集まり、タウンとして拡大した。なぜセイブルックが衰退し、ハートフォードが発展したかについて研究した。 研究事業として、8月にハーバード大学神学部とワイドナー図書館に行き、資料の収集を行なった。しかしコネチカット関係の古文書は入手が難しいので、マサチューセッツ植民地の文書から探索せざるを得なかったが。関連する学術論文のコピーはできた。 ハーバードでは資料のユピーだけでなく、デヴィッド・ホール教授に会い、2009年1月に予定されている三回の東京での講演について打ち合わせを行なった。また先生の来日期日や宿泊場所を確定した。小倉はボストン滞在の前後にニューヨークとサンフランシスコに滞在し、本の収集を行なった。 来年度から共同研究者を追加するので、そのための予備として2名の若手研究者にプロジエクトに参加してもらった。今年度から間接経費が配分され、予算に余裕ができたため、プロジエクトに多様性を持たせることができた。小倉は論文を2点、研究発表を回、英語文学事典の13項目報筆を行なった。
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