778年8月15日、シャルルマーニュはスペイン遠征からの帰途、ロンスウォーの谷にて大敗を喫する。角笛オリファンを吹くか吹くまいかと逡巡するローランが、叔父のガヌロンの奸計により非業を遂げるくだりは、12世紀に『ローランの歌』Chanson de Rolandという叙事詩に描かれて今日に伝わる。この主題は中世を通じて人気を博し、ドイツ、ノルウェーなど、北欧各国語に翻訳されてその悲劇が繰り返し歌われでいる。よって、ローランの名前がピレネーの南で人口に膾炙するようになるのも、決して遅い時期ではない。イスラム教徒からヨーロッパを死守したフランスの英雄は、全キリスト教世界の英雄としてスペインでも蘇生する。スペイン語の最初の叙情詩、ベルセオの『コゴリャの聖ミリャンの生涯』には、ローランとオリヴィエの名が修辞のメタファーとして登場している。その後、『偽テュルパン年代記』とサンティアゴ巡礼街道を経由したフランス文学の影響で、伝承歌謡などに見る中世のローラン像が形成されていったものと考えられる。 ところが、いつ頃からか、年代は特定できないが、スペインではこのローランを屠る役目を受け持つベルナルド・デル・カルピオBernardo del Carpioという英雄が誕生する。アルフォンソ賢王の『スペイン史』には、既に二種類の伝説あるいは叙事詩が存在した痕跡が残っている。その後、ルネサンス期のイタリア文学の流入を経て、特に黄金世紀になると、この「反ローラン像」はアグスティン・アロンソの詩、フアン・デ・ラ・クエバやロペ・デ・ベガの演劇とともに成長し、『ドン・キホーテ』の冒頭には、シッドを凌ぐほどの国民的英雄にまで変貌しきったベルナルドが登場する。いかなる理由からそのような概念が芽生えたのか、そしてそめ成長の跡を研究した。
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