1)フランスの「生理学」に対するラーヴァーターの観相学の影響:ラーヴァーターの観相学は、個人の顔を対象とし、観察空間は室内に限定されていた。しかし、19世紀に入るとフランスでは、ラーヴァーターの観相学は、都市という開かれた空間における身体全体の観相学として受容されるようになり、「生理学」という言説のジャンルを形成した。「生理学」は、人々の顔つきのみならず、たとえば歩行の様態も観察し分析し分類した。これは、都市への急激な人口流入にともなって他者への不安感が増大し、他者を脱他者化することが必要になってきたことが理由である。バルザック、ボードレール、ゴーティエ、ゾラらのテクストにおける観相学の「生理学的」な展開を分析することで、19世紀前半の特殊フランス的な観相学のあり方を考察した。 2)哲学的な言説の浸透:20世紀にはいるとドイツでも観相学がリバイバルした。19世紀のフランス、イタリア、イギリスでは、観相学がさまざまなテクノロジーを動因することで、実証科学となることをめざしていたのに対し、20世紀初頭のドイツの観相学は哲学的な言説をまとって登場する。ただし、すでに当時ナチズムの思想家たちは、反ユダヤのイデオロギーを実践するための疑似実証科学的な理論として観相学を利用しはじめていた。クラーゲス、シュペングラー、カスナー、ユンガーらのテクストは、この二種類の実証科学的観相学の系譜とは異なり、メディア・テクノロジーへの言及を避けている。
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