総力戦であった第一次世界大戦後には、負傷した多くの帰還兵のために整形外科手術が必要になった。ナチスの人種政策のあおりを受けたユダヤ人たちのなかには、鼻の整形を求める者も出てきた。1931年にドイツで出版された整形外科手術の教科書には、美容整形に関する記述も混在している。このように、整形手術は、毀損された身体部分を元に戻すことにとどまらず、生来の身体部分をより美しくするために施されるようになった。この動向はドイツに限定されなかった。 最初の形成外科医の学会と第一回ミス・アメリカ・コンテストが1921年に北米で開催されたことは、20世紀末に審美的な目的のために身体の外形を短時間で変更することが可能になることを先取りする偶然であった。1990年にはオルランが美容整形手術のプロセスそのものを審美的な享受の対象として提示する。フランスにおいて高踏的なパフォーマンスとして提示されたこの行為は、そのほぼ十年後、日本ではサブカルチャーの水準に下降して拡がっていくことになる。1998年から雑誌『VOCE』で連載が開始した「美人画報」では、安野モヨコは「美人」への自己改造を告白し伝道した。2001年にスタートしたテレビ番組「ビューティ・コロシアム美の改造計画」では、外面の変更が内面の変更をうながすというテーゼを裏付ける数々の実例が演出された。その翌年から中村うさぎは自らの身体にメスを入れさせ、自分を「美人」へと改造し、「変わってしまった顔」こそが自分の顔であり、「四十四年も慣れ親しんだ自分の顔」には違和感を抱くと告白する。これらの試みは、ラーヴァーターの観相学が前提にしていた、内面が外面へと現象するという方向性がいわば逆転し、外面が内面を規定するという方向性を示唆している。顔は今や、真の意味で「メディア」として操作可能なものになった、と表象されるというのが本研究の結論である。
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