ラーヴァーターの『観相学断片』全4巻を内在的に検討する。「内在的」と言っても、このテクストの作品としての自律的な価値を称揚するためではなく、このテクストにラーヴァーター以降の観相学の問題性(学問性への志向、分類の欲望、観察者の超越的な視点を支える初期条件、象形文字としてのテクスト、排除される他者など)が萌芽的な形で含まれているからである。ラーヴァーター以降の観相学を対象としている本研究では、次の流れで研究を進行させる。(1)ラーヴァーターの観相学は熱狂的にむかえられるとともに、同時代の知識人たち(リヒテンベルク、カント、ゲーテら)から激しく批判された。批判の分析を通じて、ラーヴァーターが依拠した「理性」の内実、観察主体の位置などを明らかにする。(2)ラーヴァーターの観相学の通俗的な流行とは別に、ドイツでは、その発展型が個別の学問領域として形成された。ガルの骨相学、カールスによる人種学、W.v.フンボルトによる風景学などである。(3)ラーヴァーターの個室的な観相学は、フランスでは都市という開かれた空間の観相学として受容され、「生理学」というジャンルを形成した。都市への急激な人口流入にともなって、他者の脱他者化が必要になってきたことが理由である。バルザック、ボードレール、ゴーティエ、ゾラらのテクストにおける観相学の応用を見てみたい。(4)観相学を「学問」として確立させたいというラーヴァーターの願いは、19世紀中葉に、写真などの諸種のメディア・テクノロジーが整備されることによって、実現に近づく。ロンブローゾやベルティヨンによる犯罪学への観相学の拡張を考察する。(5)20世紀にはいるとドイツでは観相学が哲学的な言説をまとって登場する。クラーゲス、シュペングラー、カスナー、ユンガーらのテクストを分析し、19世紀における観相学のテクノロジー化とは一見逆行する流れが意味するものを明らかにしたい。(6)ナチズムは観相学を人種差別の手段として援用した。そこでは、19世紀に成立した犯罪学と20世紀初めの世界観としての観相学がいびつな形で混淆している。ナチズムによる諸種の観相学の接合も考察対象になるだろう。(7)第一次世界大戦後、戦傷者を救済するために整形手術のニーズとスキルが高まった。整形手術が美容整形手術として流行するようになったのが、20世紀末のことだった。これは観相学的な認識の枠組みに決定的な変化をもたらした。内面が外面に浮上するのではなく、外面が内面を変更することが可能になったのだ。中村うさぎや安野モヨコらのテクストの言説分析によって、この推移を明らかにする。
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