1918年1月のヒュルゼンベックの「ダダ演説」から、1920年6月の「国際ダダ見本市」まで、ベルリンのダダイストたちの主要な行動時期はきわめて短いものであったが、彼らは多くの新しい実験的な芸術を試み、大きな反響を巻き起こした。とりわけグロッスとメーリングはこの運動の中核的メンバーとして生産的に活動し、雑誌「誰もが自分のフットボール」、「破産」、「大まじめ」などでほとんど毎号にわたり作品を発表している。今回の研究では、これらの雑誌に発表されたメーリングの詩とグロッスの素描が同一のテーマを扱っており、それぞれがお互いに作品の内容を解説しあう関係にあることを解明した。作品を具体的に検討する中で、同時進行の原理や、独特のコラージュ的技法を駆使している作品が一方の極を形成しているのに対して、他の極には、伝統的な技法を用い、大衆的な歌謡や一枚絵に近い方向があることが明確となった。典型的なダダ芸術の特徴であるモザイク風の手法は主としてドイツ全体の混乱した社会をテーマにしているときに用いられている。これに対して個々の社会的問題を取り上げ、読者にメッセージを強く訴えようとするときは、伝統的・大衆的な歌謡や素描の技法がおおむね貫かれている。一般に芸術史・文学史では、ダダイズムが既成の芸術的方法をすべて破壊したかのように記述されることが多いが、個別の作品を具体的に観察すると、多くの局面で伝統的な技法が活用されていることが判明した。本研究の成果は、以上の観点からの芸術史上のダダイズムの再評価・再検討が必要であることを明らかにし、今後のダダイズム研究の方向性を示したことである。
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