研究概要 |
本研究の目的は、多言語・多文化の国スイスのナショナル・アイテンテイテイをめぐる政治的言説と文学との関連について考察することである。20年度の課題は、現代作家マックス・フリッシュとフリードリヒ・デュレンマットのスイス論を分析・考察することだった。フリッシュの『学校のためのヴィルヘルム・テル』(1970)とデュレンマットの『私のスイス』(1998)を主な分析対象とし、スイスの特異性に関するさまざまな神話をこのふたりの作家がどのような形で脱神話化していったかを重点的に考察した。また、スイスの多言語・多文化状况に関しては特に、スイスの哲学者エルマー・ホーレンシュタイン考察(Schulbeispiel Schweiz,1998)を参照した。その結果、明らかになったのは次のような点である。 1.第1の脱神話:フリッシュは英雄ヴィルヘルム・テルにまつわるスイス建国神話を書き換える作業を通じて、テルを国家的イデオロギーに利用しようとする現代スイス人の態度を批判した。 2.第2の脱神話化:デュレンマットは、スイスそのものが多言語の国であっても、ひとりひとりのスイス人は必ずしも多言語使用者ではないことを指摘し、スイスにおける多文化共生は多くの場合神話にすぎないことを明らかにした。 自由、中立、多言語・多文化主義というスイスの国是が一方ではEUの未来を先取りするものでありながら、その一方ではやはり理想通りにはいかない現実がある。にもかかわらず、現代の理想郷スイスという国際的な「誤解」をいいことに、スイス人自身もその現実から目をそむけていることを、ふたりの作家は批判しているのである。 本年度の研究に関連して、2008年8月に金沢青陵大学で開催されたアジア・ゲルマニスト会議(日本独文学会主催)で分科会「言語政策と文化の越境性」の座長を務めるとともに、スイスの言語政策に関する研究発表を行って、多言語・多文化主義に関する議論を深めることができた。また「人文・社会科学振興のためのプロジェクト」研究領域V-1・第2グループ「越境と多文化」に協力する形で、ベルリン自由大学で開催された国際コロキウムにおいてもスイスの多文化状況に関する研究発表を行い、特にゲオルク・ヴイッテ教授と意見交換できたことは大変有意義だった。
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