タヒチの例に見られるように、讃美歌の歌唱に伝統的歌唱が融合し、それを教会当局が追認し、正式に教会の歌とするといった、讃美歌のような西洋歌謡と土着の歌謡との融合という筋道があることが明らかになった。 アメリカン・サモアのケーススタディーで、讃美歌から近代歌謡が発生する過程において、讃美歌に関して独自な作曲活動が行われるか否かが重要な過程の1つであることが分かった。日本でも「琵琶湖就航の歌」にこうした例を見ることが出来る。 さらにミクロネシアのトラック諸島ではキリスト教の歌は最もよく歌われる歌で、毎週の礼拝の他にさまざまな機会に、のど自慢、募金活動、日曜日のお祝い、夕方の若者グループのリハーサル、政府行事で、子守歌として家庭で歌われる。トラック人自身が作曲した地方讃美歌は正式のトラック讃美歌集には含まれていないが、日曜日に決まって演奏される。形式は、楽節、リフレイン形式の代わりに多くの対照的な部分からなる通作歌曲である。トラック諸島の地方讃美歌のこの形式は、唱歌「故郷」の例に見られる讃美歌の影響から生まれた唱歌の形式特徴である小さな通作歌曲に通じるものがあり興味深い。 太平洋の讃美歌歌謡の典型であった無伴奏の4声部合唱はトラック諸島では過去スタイルとなりつつあり、教会音楽はグローヴァルなポピュラー音楽と結びついているといった、教会の歌そのものがポピュラー化しているという筋道も存在する。 日本を含めた太平洋全域において讃美歌が普及することになった原因が19世紀に盛んであった捕鯨活動にあった、という新しい説を提起した。つまり捕鯨という経済活動とキリスト教宣教という宗教活動は不即不離の関係にあった。 讃美歌から近代歌謡に発展する筋道に複数の筋道が明らかになった事と共に、この新しい説は今後さらに展開が必要となろう。
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