本年度は、「台湾における厨川白村-継続的普及の背景・要因・方法」を書き上げた。本論文において、大陸・中国の民国文壇では、魯迅が『壁下訳叢・小引』(1929.4初版)において、厨川白村の文芸観は「比較的古い論拠」と位置づけて以来、プロレタリア文芸論が最先端の新しい理論となり、本格的な厨川白村受容の最終は、許欽文著『文学概論』(1936.4初版)であることを提示した。一方、継続する民国文壇、即ち台湾では、その後も、厨川白村著作の翻訳出版は繰り返されると同時に、その文芸観は高く評価され、各種「文学概論」の教科書では「引用されるテクスト」になっていることを示した。また、香港でも、魯迅訳『苦悶的象徴』『出了象牙之塔』(1960年8月第1版)が、香港・今代図書公司から出版されているが、知識人たちある程度以上認知されるのは、大陸での厨川白村の再受容の傾向に呼応して各大学図書館に所蔵された北京・人民文学出版社の魯迅訳『苦悶的象徴』『出了象牙之塔』(1988年7月)以降であることを示した。さらに、『中国語圏における厨川白村現象-その受容の隆盛・衰退・回帰と継続』という図書を刊行するために、本著書の序章と終章を書き上げ、「中国語圏における厨川白村現象」とは、日本では、彗星のように現れ、大いに流行した厨川白村の著作が、彼の死後、急速に忘れ去られてしまったのに対して、中国語圏(大陸・中国、台湾を中心に、香港まで視野に入れた地域)の知識人たちの間では、その時代とその地域の特性に根ざして活き続けてきた現象を指し、中国では、1980年代以降に回帰し、80年代は「走向世界」をキーワードに、「魯迅与厨川白村」に代表されるような比較文学の研究方法から、90年代は「現代性」をキーワードに、西洋近代文芸思潮との係わりから、2000年代以降は「民族性」「人間性」「現代性」との関わりから、厨川白村著作は研究対象として再受容され始めたことを述べた。
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