アメリカ留学により宗教教育や心理学を学んだ田村直臣は宗教教育の先駆者として各方面で貢献した。留学前から児童向けの本の出版を手がけ、アメリカの児童向け作品の翻訳に努めるが、帰国後は日曜学校で使用するテキストとして児童書を翻訳するにあたり、いち早く言文一致体を採用した。さらに、自営館という苦学生のための育英施設運営の資金獲得のため、アメリカにて日本文化や社会を紹介する『日本の花嫁』(The Japanese Bride)と題する書物を英語で出版した。この『日本の花嫁』を和訳して日本で発行しようとしたが、その内容が不謹慎だとして、保守派の人々だけでなく、日本基督教会側の人々からも批判を受けることになった。その結果、宗教裁判にかけられて牧師の職を剥奪されるに至った。これがいわゆる花嫁事件であるが、この概要を、日本滞在の米人宣教師が本国に送った書簡をもとに彼らの視点からたどった。また、のちに足尾鉱毒事件の救済にも関わったが、途中で運動から離脱したために彼に対する批判もある。多方面で、人道的、教育的に活動した田村について、その足跡を日本の築地や巣鴨教会、また留学先のオーバーン並びにプリンストンの両神学校に残る関係資料から跡付けた。特に童話集の翻訳・発行と英語であらわした『日本の花嫁』の出版などをもとに、田村の仕事を、外国文化の受容と日本文化の発信の視点から眺めた。
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