(1)背景:これまでの研究を進める課程で、一般に北京語と称される言語の深部には来源の異なるいくつかの系統性を持った言語の脈流が存在し、時に平衡し、時に交錯しながら現代に至る様相が見えてきた。現代の中国の公用語は、普通話という規定に則り人為的に整備された言葉であるが、その原形とも言うべき清代の北京語は単純な一方言ではなく、北京に存在する様々な要素が複雑に絡み合いながら、柔軟性を具えた巨大な集合体を形成していた。この背景となった複雑な言語環境の存在故に、清代には幾度も言語政策が講じられ、政治的意向と社会的動向の絡んだ公用語の模索が続くことになる。最終的には、清末に外交交渉という外的必然性から方向性が決定され、北京官話が公用語としての地位を確立した。以下に「清代の言語政策と関係する言語」及び「社会的動向と主要言語の移行」の関係を整理する。 (2)目的:清朝は満洲族による支配であったため、漢語の流れに対して、従来とは全く異なる民族性、地域性、政治体制が複雑な影響を及ぼした。これらの要素に起因する言葉の脈流は具体的にはどのような語彙体系を成し、漢語史の中で、いつ、どこで、どのように形成され、盛衰していったのかを考察したい。言葉の脈流としてはi.満洲語の漢語への影響、ii.正音、iii.南京官話・北京官話、iv.旗人語等が考えられ、背景の社会的動向としては、(ア)少数派民族の多数派支配による共生、(イ)満洲族の華化、(ウ)外交交渉のための公用語の必要性、(エ)政治制度に関わる特殊階層等の問題が考えられる。そこで満漢合璧資料、満洲語を多く使用した小説、欧文官話資料、旗人による白話小説資料などの関係資料等から語彙・文法事項を収集し、比較対照する。これにより、語彙の盛衰に関する語彙レベルでの対立や共存の現象が観察出来、同時に相対的な脈流の実態も把握することが可能となる。以上の方法から、17世紀から20世紀初期の満洲族統治下における民族、階級、地域間の言語交錯と公用語の関係を調査し、内包する脈流を視座に、清朝の言語政策及び社会変動に係わる漢語の多層性について明確にすることを目標とする。
|