日本語の連体修飾(関係)節内の主語名詞は主格「ガ」に代えて属格「ノ」でもマークされ、この格助詞交替は意味的対立を伴わない。通時的には「ガ」、「ノ」はともに2つの名詞句を「X{ガ/ノ}Y」の形式で繋ぐ参照点マーカーであったが、現代の標準語においては、「ガ」が主格助詞、「ノ」が属格助詞として確立している。主語を「ノ」でマークできるのは、連体節あるいはそれに準じた統語環境に限られる。なぜ「ノ」ではなく「ガ」が主格として確立したのかに関して「ガ」と「ノ」の使用に尊卑表現が関わっているとする指摘があるが、その文法化のプロセスに関して決定的といえる分析は見あたらない。九州地方の方言においては現在も、主節主語が「ノ」でマークされるとする先行研究を踏まえ、熊本県において若い世代の方言話者に聞き取り調査を実施した。その結果、主節主語を「ガ」でマークするのが定着している一方で、主節主語が「ノ」でのマークされた文も適格文として容認されることが確認できた。とりわけ、現在ではあまり一般的には用いられない動詞を含む提示例文においてインフォーマントが当該の動詞の意味が分からないにもかかわらず、「ガ」、「ノ」による主語マーキングをいずれ問題なしとした判断は、熊本言において「ノ」を主格マーカーと分析する妥当性を示唆している。 アイヌ語について、北海道アイヌ語とサハリンアイヌ語とでは主語のマーキングが異なることが指摘されている。2つのアイヌ語の主語マーキングに関して、日本語の連体修飾節におけるガ・ノ交替と平行的なメカニズムの現れである可能性を踏まえ、今後の調査研究を進める方向性が明らかになった。
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