日本語的発想と表現との関係について考察するために、談話の理論的考察を行った。また、中国(北京大学)、韓国(カトリック大学)において研究会を開催し、海外研究協力者他とともに対照談話論的見地から上述のテーマについて討議を開始した。 明らかにした具体的内容は、次の点である。地域方言、社会方言、機能方言によって異なりを見せる具体的単位である談話を適切に生成するためには、定型的表現を単語のように丸ごと覚えてその場面で繰り出すというのでは難しい。定型的表現の有する複数の記号的意味を吟味して場面にふさわしい言語選択を行うためには、言語記号的意味そのものについて知るとともに、場面の有する意味をとらえる必要がある。場面の有する意味とは、言語共同体の成員が暗黙知として有する物の見方であり、発想の仕方である。これを「事態認識(=事態の見立て)」という概念で明確化した。事態認識のありかたには、言語表現そのものとともに、種々の方言差があることが重要な点である。 発想の過程を「事態認識」という術語で定式化、概念化することにより、談話表現の適切性とは何かについて、談話論的に検討しうる可能性を開いたことに多少の意義と重要性が認められるであろう。また、適切な談話使用において「事態認識(見立て)」の意識化が重要であるのは日本語談話の特徴であって、日本語以外の言語においてそれが重要視されるかどうかは、今後の研究的進展に待つところである。この意味で、「事態認識」は、「スキーマ」とは異なる概念である。
|